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清正公が開いた城下町

旧町名をたどりながら、てくてくまち歩き

レジャー

こよみの上では立夏を迎えた熊本。1年のなかでも一番さわやかな季節は、ゆっくりまち歩きをするにおすすすすめ。普段は車や電車でサッと移動してしまう地元の町も、歩いてみると新たな発見ができますよね。今回は、歴史の断片があちらこちらでうかがえる新町を歩いてみました。

新町の玄関口となる「洗馬橋電停」

電車が到着する前には「あんたがたどこさ」のメロディーが流れる「洗馬橋電停」。たぬきのモニュメントもあります

加藤清正が築城した熊本城。城の建設とともに城下町の整備が行われたのが新町・古町界隈です。今では“お城の裏手”といったイメージがありますが、清正によって開かれた歴史ある町なんですね。

新町はお隣の古町の次に建設されたといわれ、熊本城から諸国へ通じる4つの街道の拠点「元標」がある熊本城の玄関口。堀と坪井川で囲まれ、「新一丁目門」「新三丁目門」「高麗門」などの櫓門で固められていました。

豊前・豊後・薩摩・日向の4街道の起点となった「里程元標跡」。ここが熊本城内と城下町との境目となる「新一丁目御門」で、藩の政令を掲示する広場「札の辻」もありました

明治8年(1875)、坪井川に掛けられた「明八橋」。ここは新町・古町の境界にあたり、熊本城への出入り口となる櫓門「新三丁御門」がありました。明治5年(1872)に、この櫓門の撤去を命じたのが、かつては“人斬り半次郎”と呼ばれた熊本鎮台司令官の桐野利秋です

慶長3年(1598)に清正が西方の守りのために築いた「高麗門」。ここで開かれていた「高麗門の市」が、現在も「くまもと春の植木市」として親しまれています

新しく生まれた新町には、城下の各所から商人や職人が集められ、「上職人町」「新馬借町」「新桶屋町」などと、その界隈に住む人達の職業を表す町名が付けられていました。

今では「新町○丁目」と変わってしまいましたが、通りごとに昔の呼び名を紹介する表示板が掲げられているので、清正時代の城下町の雰囲気を少しだけ味わうことができます。

3枚は、各通りに掲示される旧町名の案内板


 

こんなバージョンの看板もあります

一新小学校がある「新馬借町」で見つけた「河上彦斎」の誕生地の木標。「るろうに剣心」のモデルとしても知られる幕末の四大人斬りのひとり

一新幼稚園の園庭にある「明治天皇行在所」跡。ここには肥後藩の迎賓館「御客屋(後に会輔堂)」があり、「御客屋」時代に勝海舟と坂本龍馬、「会輔堂」時代には明治5年、明治天皇と西郷隆盛が滞在しました。

明治10年の西南の役で、新町・古町は激戦地となりました。町は全焼しましたが、新町には県議会、警察、区役所、郵便局などの主要施設が建てられました。さらに、さまざまな店や料亭が建ち並び、通りには朝市が立ち、熊本市の中心地としてにぎわうように。今も町を歩くと、肉屋、八百屋、米屋、おもちゃ問屋や衣料問屋などの店を見つけることができ、個人商店が多く並ぶのも明治の頃から続く町の魅力なのかもしれません。

「西南の役激戦地跡」

現在の中心地から徒歩圏内で、利便性も抜群の新町・古町界隈。マンションやビルが多くなり、また熊本地震後に更地になったところもちらほら見受けられますが、それでも、お地蔵さまや石碑、町家など、歴史を伝えるものも数多く見つけることができました。

それぞれの通りには、お地蔵さまが地域を見守っていました

町をひと歩きしてみると、車移動では見逃していたものが沢山ありました。電車通りから一歩入ると一方通行の道も多いので、新町界隈は歩いてめぐることをおすすめします!

【2017年5月の情報です】

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